ジークの雑録日誌

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『最近のラノベ』という括りなど捨ててしまえ!!

 私は『最近のラノベ』という括りを最も嫌っている。なぜかといえば''最近''の定義すら曖昧で、その議論は非論理的だからである。例えば、「最近のラノベはハーレム物が多い」というような論調とか。

 ハーレム物自体、ラノベに限った話じゃない。ギリシャ神話だってハーレム物だ。俺TUEEEEEEEEEEEEと呼ばれるジャンルは英雄の伝承にそのルーツをみることができる。異能の類が出てくる話だって伝承や民話が元ネタになっていることが多い。物語とそれに登場する人物には少なからず類型がある。それ自体もラノベに限った話じゃない。なのにラノベを叩く方々はそれすら忘れているのだ。

「フォントの大きさで声の大きさを表現するな」って主張は同意できる。だから最近のラノベはダメっていうのは論理の飛躍だ。個別具体的に批判してくれよ。ジャンルも傾向も違うものを『最近のラノベ』という括りで語らないでほしい。

物語は形に宿る

 小説を書くとき、話の形式や構造について考える。小説におけるカテゴリーとは、純文学、大衆文芸、青少年向け小説(ライトノベル、児童文学)などが挙げられる。小説におけるジャンルとは、ファンタジー、SF、ミステリー、etc……がある。

 ライトノベルをジャンルだと勘違いする人もいるが、ラノベは小説の分類なのでカテゴリーにあたる。ジャンルにおける代表的な物語の書き方というものがテンプレになる。テンプレは物語のお約束と言い換えることができる。ミステリーにおけるノックスの十戒ヴァン・ダインの二十則がそれにあたる。

 小説におけるジャンル、テンプレといったものは先人が長年かけて培ってきたものなので大事に扱っていこう。

奈須きのこ・TYPE-MOON私論―同人からの飛躍―

 奈須きのこは、TYPE-MOONに所属するシナリオライター・小説家であり、TYPE-MOON(通称、型月)を支える概念武装である。今回は型月を支える概念武装である彼について記事を書こうと思う。

 奈須氏は同人ゲーム『月姫』の脚本で同人デビューを果たす。奈須氏のシナリオの特徴として特筆すべきことは舞台、世界設定の緻密さと作品ごとの関連付けの上手さである。月姫が大ヒットしたことで同人界における型月の知名度は飛躍的に向上する。当時、同人サークルだった型月の創設メンバーの1人だ。

 奈須氏の作品と言えば魔術、魔法の類が頻繁に登場しファンを熱狂させている。「魔術、魔法なんてマジ中二じゃんwwwwwwww」などと叩くアンチもいるが、一方でこれほど膨大な設定を扱う奈須氏の力量に脱帽もしているのだ。作品世界における魔術、魔法はしっかり体系づけられていて、その1つ1つを解釈するだけでも非常に奥深くまた面白い。作中設定のルーツを辿ると中世ヨーロッパや古代エジプト、大陸魔術などに行き着く。世界設定の緻密さと作品ごとの関連付けの上手さは『魔法使いの夜』と『空の境界』が良い例だろう。蒼崎橙子蒼崎青子が姉妹といった設定などである。そもそも『Fateシリーズ』や『月姫』、『魔法使いの夜』と『空の境界』は世界設定を共有している。時系列と物語の舞台が異なっているだけである。

 型月成功のもう1人の立役者といえば武内崇だろう。彼は型月代表、イラストレーターであり型月を所有する有限会社ノーツ代表取締役だ。奈須氏の中学時代からの友人で氏の才能を見い出した人物でもある。型月は月姫発売後の次回作(Fate/stay night)を同人で出すか商業で出すかとういことに悩んでいた。商業で出すとなれば同人時代よりも流通経路を多く確保する必要がある。そのため信用力と信頼性の確保が急務であった。そこで考え出されたのは型月の法人化である。型月が商業デビューした当時は最低資本金制度があり法人化するためのハードルが高かった。信用力の確保と最低資本金を最小限に済ませる目的で型月の法人化には有限会社の形態をとった。

 この判断は極めて正しい判断だったと言える。なぜなら当時は株式会社を除く他の会社形態だと債務に対して無限責任を負ううえ、信用力が低く株式会社だと最低資本金が高額となるからだ。よってその中間である有限会社の形態をとることが最も望ましい。このように武内氏のサポートがあったからこそ型月の商業デビューはスムーズだったといえるだろう。

 最後は奈須氏の座右の銘で締めようと思う。

                「人類皆強大」by 奈須きのこ

実力の無い商業作家の同人作品は売れるのか

商業で実力の無い作家の同人作品は売れるのか。答えは否である。今回は幾谷正を例に挙げ彼が辿った悲惨な状況について語る。彼については以下の記事を参照して欲しい。
jeek-miscellaneous.hatenablog.com
 自らの本が売れない原因を他人に転嫁するような人物であるが、そのこと以上に彼の作品は地の文における描写力とストーリー構成力双方が著しく欠如しているため、作品自体は至極つまらないものである。そんな彼は今、KDPという自己出版手法に手を染めている。KDPの詳細は以下を参照して欲しい。
jeek-miscellaneous.hatenablog.com
 彼は商業作家だった頃の実売数はアーマードール・アライブに関して1000部だったらしい。ちなみに刷り部数は1万部だった。つまり90%は売れ残ったのである。刷り部数方式の料率だったため、印税は支払われたが出版社と取次には損失だけが残った。打ち切られ、そのことに腹を立てた彼はKDPに手を染めるのだった。
 KDPのシステム自体は作家にとってメリットが非常に大きい。出版のノウハウさえあれば良いし、本の内容が面白ければ確実に売れる。宣伝も自分のやりたいようにできる。しかし、幾谷正のような未熟な作家では話の中身がスカスカなので売れないのである。彼も自ら作家として飯が食えるとは今更思ってないだろう。※KDPに移ってから幾谷正の作品は数十冊程度しか売れていない。
 実力の無い作家は如何なる媒体だろうと売れないということだ。

伊藤計劃以後とは何なのか

 近年ののSF界では、「伊藤計劃以後」という概念が独り歩きをしている。伊藤氏の没後に書かれたもので、作品のテーマと類似するもの(人間の意識や言葉)や社会批判を含んでいる作品を指すことが多い。氏のファンである私もこの概念にしばしば頭を悩ませている。

 なぜかといえば、氏の扱うテーマは氏が登場する以前からSF作家の間では既に話題に上っている事柄だからである。それらは専ら、海外SFにおいて人気なため日本SF界では話題に上ることが少なかった。氏の作品の素晴らしさについては語らなくても分かっていただけると思う。

  ある種のターニングポイントを表す概念であり、神格化の意図は無いのである。

ラノベ作家が一般向けSF作家になるための条件とは?

ラノベにおけるSFと一般向けSFでは求められるテーマや物語の構造が大きく異なる。一般向けSFは現代社会に関する批判を物語の中に織り込むことが多い。ラノベ系SFは少年少女たちの属するコミュニティとその関係性がテーマとなる場合がほとんどである。
ガジェットや舞台設定などはラノベ系も一般向けもあまり変わらない。なぜこんな当たり前のことを書いているのかといえば
「俺の作品が売れなかったのはラノベにカテゴライズされたからだ。一般向けSFだったらもっと売れたんや‼」
などと主張する元作家がいるからである。
この主張は根本的に間違っているのだ。ラノベはカテゴリーであり、SFはジャンルである。ラノベ系SF作家は一般向けSFを執筆出来るのかと聞かれれば、可能であると私は答える。
具体例を挙げるなら創元SF短編賞を受賞した宮澤伊織氏が記憶に新しい。同氏は冒険企画局に所属するライターで角川スニーカー文庫からデビューした経歴をもつ。氏がこの賞に応募した理由は新たな可能性を拓きたかったということらしい。
氏の才能はラノベというカテゴリーに収まらないということだろう。前述のような発言をした元作家にはSF創元短編賞への応募を推奨したい。

電子書籍化が進むと出版社と著者が得をするのか

電子書籍化とは、ペーパーレス化である。

jeek-miscellaneous.hatenablog.com

では読者のメリットと著者のメリットに関する記事を書いた。今回は出版社の利点と著者の利点について書く。

 出版社のメリットは、取次会社の取分も自社のものにすることができるという点である。刷り部数方式の著者料率(印税)が10%であるということは、皆さんもご存じだと思う。残り90%は誰の利益となるか。出版社と取次会社が4:5の割合で利益を分けるのだ。なぜ出版社の取分が少ないのかと言えば、在庫管理やその他のリスクを取次会社が負っているためである。取次の影響を排除することで著者と出版社の取分を新たに設定し直すことが可能となる。

 電子書籍個人出版する場合、著者料率は30~50%で設定されることが多い。出版社と配信業者の取分は両者で協議することが多い。昨今では出版社が電子書籍配信業を行っていることも多いためその場合の著者料率と出版社取分は5:5となる。(BWインディーズの場合)

 電子書籍はその性質上、刷り部数方式の著者料率が適用されない。販売数に基づく著者料率が適用されるため、刷り部数方式に比べ出版社と仲介業者の負うリスクが少なくなる。(在庫余りなど)販売数(売上数)に基づいて配信継続、停止などの措置を行うことも容易となる。

 

 

jeek-miscellaneous.hatenablog.com

  もしかしたら、彼のような作家が生まれることも未然に防ぐことができたかもしれない。ラノベの場合、最低でも5000~1万冊を発行しなければならない。在庫余りが生じた場合、そのリスクを負うのは出版社と取次である。刷り部数方式では、たとえ駄作であっても規定部数を発行しなければならない。しかし、電子書籍は売上数に基づくためその結果によって打ち切りか否かを決めるという手法もできるからだ。電子書籍では在庫余りのリスクを考慮する必要がないのである。駄作は売上の結果で淘汰される。電子書籍のおかげで完全実力主義になる。

「まあこの出来じゃ電子書籍で5000も売上げるなんて不可能ですよ」

 と言われてしまうかもしれないが……

 今回はこの辺で