ラノベの歴史に今何を思う
「ラノベって10代向けの挿絵付き小説のことでしょ」
友人は頻繁にそのことを指摘していた。
ラノベ以前において10代向けの小説が無かったのかと言えばそうではない。10代の少年・少女たちに向けて書かれた小説はたくさんある。勇気や正義、諦めないことの大切さなどを登場人物たちが旅や冒険を通して理解するという小説が多い。異世界に行って冒険をする話も今では珍しくない。
実のところ大抵の物語は既存の設定にオリジナリティを付け足している。どこで差別化を図っているかといえば、それはストーリーの構成力や魅力的なキャラクターである。ラノベは読みやすくするために文体も工夫している。ラノベの源流は『コバルト文庫』まで遡る。その後様々なラノベ系レーベルが誕生し、しのぎを削っている。赤髪系ツンデレヒロインなどもラノベにおいて定石となった。ついにはざるそば擬人化ラノベまで出版されるようになった。
人間の想像力はとどまるところを知らない。小説は読者の想像力を借りる文学である。ストーリー構成力や文章力を磨き多くの作家志望者に頑張ってほしい。
電子書籍で望まれるものとは?(読者側と著者側の両側面から)
電子書籍で望まれるものとはなんだろうか。読者にとっての最大の利点はペーパーレス化である。紙の本は置き場所をとるが、電子書籍は記録媒体と端末さえあればいいので紙の本と比較して省スペースで済む。著者が受ける恩恵も大きい。
1つはロイヤリティの違いである。ロイヤリティとは料率を指し、作者の取り分にあたる。大体の電子書籍においてその料率は70%である。(仲介業者を通さず出版を行った場合)残りの30%は流通業者の手数料となる。ここで1つ計算を行ってみよう。
『冴えない彼女の育て方』というラノベを例に著者の収入(印税)と電子出版(ロイヤリティ)した場合の差額を計算する。冴えカノの文庫版本体価格が576円で1割が印税収入となる。丸戸氏のネームバリューを考慮し初版は1万部発行されたものと仮定すると576×0.1×1万部となり、57万6千円が印税収入となる。
丸戸氏が電子出版のノウハウを持っていると仮定する。言い忘れたが電子書籍は販売数に掛けられる料率であるため、発行部数を根拠とする印税とは解釈が異なる。ここでは発行部数=販売部数 とする。冴えカノ電子版の本体価格は571円なのでこの価格に基づいて計算する。571×0.7×1万部となり 約400万円が収入となる。
これらの結果からも分かる通り電子書籍の方が、文庫版よりも収入が多いということは自明である。しかしこれはあくまでも商業作家の場合であるため同人作家と同列に語ることはできない。印刷コストが無くなるため書籍同人に比べると敷居が低いかもしれない。
今回はこの辺で
「ざるそば」って何だよ(哲学)
ざるそばとは、ざるに入った麺類である。そばとはそば粉で作られた麺類である。ざるそばは、香りや味が素晴らしい。色々な具材をのせるパターンもあるが、やはりシンプルな味わいをもつざるそばが最もおいしいと思う。
なぜざるそばの話題を書いているのかと聞かれれば
「MF文庫Jでざるそばが販売されるからだよ!!」と私は答える。多くの人はここである疑問をもつ。
「なんで出版社がそばを販売するのか」この疑問は私も持っていた。そもそもMF文庫Jでざるそばが販売されるからという表現は半分間違っているのだ。正しく言うなら
「ざるそばを題材にしたラノベが発売するんだよ!!」と答えるべきだろう。題材がざるそばのラノベとは何か―擬人化である。ここまでくればMF読者も察するだろう。
『ざるそばが美少女に(擬人化)なる』ラノベだということに。擬人化ラノベは数多くあれど、ざるそばを擬人化したラノベは今作がはじめてだろう。詳細はこちらを確認してほしい。
ざるそば(かわいい)
ぜひ読んでみたい。
「ざるそばって何だ(哲学)」
「これだ!!」
今日はこの辺で
テンプレ的ラノベとは何か
テンプレとはテンプレートの略称で日本語で言うところのひな形である。ラノベに限らずあらゆる物語に存在する。遡るとテンプレの存在はギリシア神話においても確認できる。大体の神話は後世の人々に語り継がせるために英雄伝の形をとることが多い。もっとも、英雄伝という括りは物語の枠を指す言葉であると言えるが。英雄伝1つ取ってみても大きく2つの形に分けることができる。
1つは「貴種流離譚」である。これはギリシア神話や日本の神話にも例が見られ、「高貴の血脈に生まれ、本来ならば王子や王弟などの高い身分にあるべき者が、『忌子として捨てられた双子の弟』『王位継承を望まれない(あるいはできない)王子』などといった不幸の境遇に置かれ、しかし、その恵まれない境遇の中で旅や冒険をしたり巷間で正義を発揮する」という話である場合が多い。
もう1つは「立身出世型」である。これは身分の低い人物が己の才覚と運によって高い身分へと上り詰めるという話が多い。
ラノベの場合だと設定レベルのテンプレが多いため一概には言えないがツンデレやヤンデレなどのキャラ設定についても神話などにその一端を見ることができる。
ではそもそも「非」テンプレとはなんだろうか。答えは簡単で『新たなテンプレになれなかったもの』である。新しいテンプレを生み出すためには書き手の力量が問われる。逆に言えば書き手の力量さえあれば新たなテンプレを生み出すことも可能だ。
テンプレが必ず売れるわけではないが、売れている作家は既存のテンプレに新たなテンプレを足している場合が多い。
「干物妹!うまるちゃん」はなぜ売れているのか ニッチジャンル可能性とは
干物妹!うまるちゃんとは週刊ヤングジャンプで絶賛連載中の漫画である。この作品は日常、ギャグに分類される。外では才色兼備で完璧だが家ではグータラに過ごす女子高生「うまる」と、その兄「タイヘイ」の日常を綴ったギャグ漫画である。有名作品やサブカルなどのパロディが小ネタとして随所に散りばめられているのも特徴である。
別の見方をすれば「妹もの」という分類もできるが、そんなものはこの作品の前では非常に些細なことだ。サブカル好きの妹を取り巻く人間模様をコミカルかつホッコリと描いている。家でグータラなうまるは2頭身キャラとして描写され登場人物の心象ではなく実際に等身が変化するという極めて異色の作品なのだ。登場人物同士の関係性も本作の大きな魅力だ。外では完璧、家ではちょっとわがままな妹という等身大な設定と妹が自立できるよう色々奮闘するも妹のわがままを聞いてしまう兄というこれもまた等身大な設定が読者の心を掴んでいると思う。
日常描写が極めて巧みな作者であると言える。100万部以上の売上を誇るのも納得できる。作者に関係する逸話を調べると泣けるものだが。書き手の力量次第で売れる物の代表格であるとも言える。
炎上作家に未来はあるのか 幾谷正の経歴とその後
幾谷正という名前をご存じだろうか?今や炎上芸人として名を馳せている元ラノベ作家である。彼の言動については
などにまとめられている。そんな彼にもラノベ作家としての時代があった。
第1回講談社ラノベ文庫新人賞優秀賞を受賞、神童機操DT-Oという作品でデビューを果たした。優秀賞は賞金100万円だ。これだけでも結構うらやましい。この作家はいわゆるロボものというジャンルが好みのようだ。次作のアーマードールアライブもロボものである。決して売れ筋ジャンルではないが書き手の力量次第で十分売り上げを伸ばせる分野なのだ。アーマードールアライブが炎上の発端になったのは良く知られているが、作品自体の設定は決してセンスが無いというものではなかった。
彼の力量不足である。地の文が致命的に下手なのである。そもそも小説は読者の想像力を借りて成り立つものなのに地の文がド下手で物語の構造も分かりづらいのだ。感想についてはこちらのまとめが概ね私の感想と同じなので参照しよう。
(こちらのまとめは6月未明に削除された。建設的な意見だっただけに非常に残念である。)
そんな彼が今何をしているのか。Kindle ダイレクト・パブリッシングである。電子書籍を自費出版しているのだ。ロイヤリティ(印税)が自分で設定でき、売れれば一般的な印税率よりも高い料率が作家の収入になる仕組みだ。業界を干された彼にとって低コストで出版できる場がKindle ダイレクト・パブリッシングというシステムだった。
初期投資費用やら製本に掛かる時間やらでコストを回収できるだけの利益は望めなかったようだが…… ご丁寧に著者が結果をブログに書いているので参照されたい。
何はともあれ電子書籍出版を果たした意義は小さくない。幾谷氏としては「需要が無いなら作ればいいじゃない(ケインズ並感)」などと思っていたことだろう。媒体を変えて新たな読者を開拓しようとした行為は素晴らしい。しかし、幾谷氏が売れないのは文章力とストーリー構成力の欠如が原因である。媒体が紙であれ電子書籍であれ作家としての重要な能力が欠けていては売れるわけがない。
今回はこの辺で
追記 騒動の詳細に関してまとめを著者が削除したために代わりのリンクを記載する。
騒動の詳細を語った著者の当時のブログに関する魚拓も記載する。
天才ラノベ作家の本質とは ―2人の電撃作家を例に―
今回はラノベ作家の天才タイプについて考察する。ラノベにおける天才とはなんだろうか。ずばり、自分の書きたいものを書き、なおかつ自らの作品を売れ筋にしてしまう作家のことである。
売れ筋作品は経験を積めば大抵の作家が書けるものだと言われている。天才タイプはこの場合と大きく異なる。書きたいものを書いて売れ筋にできるのだからそれだけで凄い。電撃文庫で活躍する2人を例に挙げる。
1人目は鎌池和馬、通称『かまちー』である。彼の凄さを示すためWikipediaより経歴を引用する。
「第9回電撃ゲーム小説大賞に『シュレディンガーの街』を応募、第3次選考まで残るも落選。しかし、応募した作品そのものは担当編集者の三木一馬の目に留まり、後に三木から書いてみないか?と連絡を受けて執筆を始める。それから1年ほどの間武者修行として何本も試作執筆のやりとりと話し合いを続け、さらに6、7回の改稿を重ねて書き上げた作品『とある魔術の禁書目録』で2004年4月にデビュー。第1巻は当初、売れなかった時のリスクを考え単巻完結のつもりで書いたが、無名の新人としては快挙とされるほど相当売れたとのことで、その後のシリーズ化が決まった。」という経歴の持ち主である。
この経歴で最も注目すべき点は『拾い上げデビューの無名作家が快挙とされるほど相当売れた』ということではない。当然ながら改稿の回数でもない。『売れなかった時のリスクを考え単巻完結のつもりで書いた』という事実である。鎌池氏の速筆ぶりは該当項目を参照してほしい。
普通の新人作家なら拾い上げデビューだとしても有頂天になって関係者に迷惑をかけるのが常である。講談社ラノベ文庫新人賞で優秀賞を獲った作家が関係者に喧嘩を売り、干された事件が記憶に新しい。
鎌池氏は謙虚さを忘れていないのである。
続いて2人目の天才を紹介する。バッカーノ!、デュラララ!!で有名な成田良悟である。彼はバッカーノ!で第9回電撃ゲーム小説大賞金賞を受賞し電撃文庫において『群像劇』のジャンルを開拓した天才でありまた鎌池氏と同様に速筆家である。既存の設定に基づいて破綻せずに新しい話を書くことができる数少ない作家だ。
鎌池、成田両氏ともにアニメ化などのメディアミックス戦略も成功させている。今後も私が期待を寄せる作家であることに間違いない。